大間崎から下北交通バスに乗車しました。
バスは下北半島の外側の海沿いを南東方向に進みます。この区間は大間線という未成線の区間で、鉄道遺構もいくつか残っているそうです。ただ、車内はほぼ満席で身動き取れずで撮影はできませんでした。
約50分ほど走って、バスは大畑バス停に到着しました。
さて・・・ここからの計画は2通り考えていました。
①このままバスに乗車してむつ市のバスターミナルで乗り継いで恐山に行く
②ここで下車して・・・
②の場合、次のバスまでなんと4時間以上あります・・・。バス路線沿いに歩いて、できればむつ市街まで歩くという計画。地図上では道のり16.5km、徒歩で3時間35分の計算・・・。ただ、ここにはどうしても下車したかった理由があったので、②のほうを選択しました。
・・・ということで下車します。大間崎からは1,460円也。バスのほうはここで5分ほど停車します。
大畑バス停は青森県むつ市大畑町庚申堂にある下北交通バスの拠点の一つです。
上画像↑はその終点だった大畑駅の駅前広場になります。
大畑駅時代の駅舎は現在も下北交通の事務所「大畑出張所」として残されています。
駅の開業は1939(昭和14)年12月のことで、当時は鉄道省大畑線の駅でした。本州最北端の駅。国鉄から下北交通に転換されたのが、1985(昭和60)年7月。多分、駅舎は転換後のものだと思いますがよくわかってません。
旧駅舎内の様子。窓口や待合室は今も生きています。
これから長距離歩くことになるため、念のため窓口で大畑タクシーの連絡先を聞いておきました。
ここには国鉄末期の頃に訪問したことがありました。
当時のボロボロ駅舎。現在の建物とは多分違うものではないかと思います。
建物の裏手に回るとホームや線路がまだ残されていました♪
駅構造は単式ホーム1面1線と留置線2本で、駅舎はホームの北側に面していました。これは海のある東側から見た様子で、奥が線路終端方面になります。
ホーム上の駅名標は既に無かったかと思いますが、名所案内板は残ってました。温泉があるようです。
こちらは西側から見た様子。線路の南側に車庫があります。
ここには下北交通の気動車が保存されているそうです。後ほど知ったのですが、動態保存らしいですね~。
振り返って線路終端側。2線が合流したすぐ先に車止めが見えます。この先も大間線として工事は続けられ、アーチ橋などの遺構が一部残されているらしいですね。
こちらは東方面、つまり下北方面。
腕木信号機が残されていますが、廃止されるまで使われていたのでしょうか?
東側は線路が撤去されており、車止めが置かれていました。ここからは見えませんが、奥には大畑港の先に太平洋が広がります。
振り返って海側から見た大畑駅。
国鉄末期の頃の大畑駅構内。
当時とほぼ同じ位置から撮影。
これを見ると当時の駅舎とは厚みや屋根の形も違いますね。やっぱり改築されたのでしょうか。
それでは、むつ市街に向けて(行けるところまで)歩いていこうと思います!
とその前に腹ごしらえしましょう。つづく~
Comments 4
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風来梨
大畑駅
こんばんは。
私は転換初期の頃に、大間崎に行く為に下北交通に乗った事があります。 駅舎は国鉄時代の駅舎のフル改装で、窓とか入口屋根の形に面影が残ってます。 また、右側は倉庫だったのが建て増しされてるみたいですね。
下風呂温泉は昔ながらの檜浴槽の共同浴場があり、これぞ東北の温泉って感じですね。 但し、ジャグジーとか一切ないです。 普通の風呂なら、近くのホテルの日帰り風呂となりますね。 ここも南部縦貫と同じく、NPOがキハ22を動態保存して公開しているようですね。
大畑線は、当初は南部縦貫鉄道が大湊線と一緒に引き受ける事で、社名の如く『縦貫』を達成する事と、同社の現存区間が経営危機に瀕していて、比較的輸送量のある大湊線とセットで引き受ける事で経営危機を立て直す思惑で手を上げたそうですが、この大畑線の沿線に経営基盤を持つ下北バスが、その防衛の為に京浜急行の支援を受けて大畑線の受け入れを表明し、バス転換が回避された経緯があるそうです。
もし、南部縦貫鉄道が引き継げば、偉大なローカル鉄道で毎月の如くイベントをしてたかもしれませんね。
四季彩
おはようございます。
きゃみ
Re: 大畑駅