山陰駅巡り22夏-島根山口編(10) 境線 境港駅 ~水木しげるワールドの境線終着駅~
米子駅から境線の気動車に乗車しました。
境線は米子駅と境港駅を結ぶ路線。山陰で最も古い鉄道線で、1902(明治35)年11月に境駅(現在の境港駅)~米子駅~御来屋駅が開業しています。その後、山陰本線と分離しますが、イメージとしては武豊線に似ていると思います。
地理的には・・・大型の砂州である弓ヶ浜半島を縦貫しています。この辺りは地図で見ると非常に珍しい地形だというのがわかります。ブラタモリでも登場してましたね。半島の先は境水道を隔てて東西に横たわる島根半島に阻まれる形になっています。
今回乗車したキハ40-2095(ねこ娘列車、3代目ラッピング)の車内。ボックスシートにワンポイント、天井にはでかでかと猫娘が描かれています。扇風機もありました。
列車はのんびり北上開始。富士見町駅や三本松口駅などえらく狭いホームの駅が多い印象でしたが、これらの駅は分割民営化後の1987(昭和62)年11月に一斉に新設された駅たちのようです。
3つ目の後藤駅。境線開業と同時に開業した古くからの駅。この駅からは後藤総合車両所への出入庫線が出ており、境線もここまでは出入庫車両用に電化されています。駅舎の佇まいも含めて下車しておきたい駅です。
2面2線の弓ケ浜駅では列車交換が行われました。大篠津町駅を出ると米子空港拡張のために付け替えられたひょっこりカーブに差し掛かります。線形が良いのかこの区間が一番スピードが出ていたと感じました。
米子空港駅の次の中浜駅。
2008(平成20)年に移転して、大篠津駅(現在の米子空港駅)に代わって2面2線となった無人駅。
列車は進むにつれて学生客が増えていく傾向にありました。上道駅では増えていた学生が全員下車。
がらんとした車内となって終点の境港駅に到着です。1番線着。
境港駅は鳥取県境港市大正町にある境線の終着駅。弓ヶ浜半島の北端にあって、古くから栄えた港町である境港市の代表駅です。
1902(明治35)年11月に境駅として開業。後に境港駅に改称。1995(平成7)年3月に駅は移転したそうです。
駅構造は頭端式ホーム1面2線で西から1~2番。改札口や駅舎は線路終端側にあります。
米子方から見た1番線。ホームは鉄骨造りで、移転後の新しい駅というのが雰囲気でわかります。
米子方から2番線側の様子。奥に見える大きな建物は「みなとさかい交流館」というそうで、隠岐汽船のフェリーターミナルにもなっており、建物の裏手にフェリー港があるようです。
妖怪の愛称は「鬼太郎駅」。この駅が主人公ですね^^
名所案内では・・・隠岐の島や美保関への玄関口となるようです。「水木しげるロード」も気になります。
1,2番線の線路終端。線路は駅舎に突き当たる形になっており、ホームがそのまま改札口に直結しています。
駅舎側から見た1番線。かなり立派な車止め。
駅舎内の様子。みどりの窓口のある直営駅で下車印いただけました(ちょっと意外でした)。壁を見たところ・・・今回乗車したねこ娘や目玉おやじ以外にも、砂かけばばあ、こなきじじい、鬼太郎列車があるようです。
駅舎外観。東向きの出入口。1995(平成7)年3月に移転したときからの駅舎で灯台を模しています。
駅前には「水木しげる先生執筆中の像」。鬼太郎やねずみ小僧、目玉おやじもいます。
ポストにも鬼太郎。他にも至る所に関連キャラクターの銅像が見られました。
ちなみに移転前の駅の位置は・・・
現在の線路は水道に突き当たる形になっていますが、かつての線路は上画像↑の奥、つまり米子方から東側、現在の駅前側にカーブしていたそうです。そのカーブ上に駅がありました。おそらく駅前の温泉宿のある位置です。線路は駅の先にも伸びていて、境水道に突き当たらずに東方面に沿うような形になっていたそうです。更にスイッチバックのような形で西側にも伸びていて、石油基地と接続していたようですね。
こちらは「みなとさかい交流館」の妖怪巨大壁画。
館内を抜けると道路を隔てて境水道が見えました。交流館から延びる歩道橋の先がフェリーのりばになるのかなと思います。残念ながら船は見られませんでした。
ちなみに、ここにはスイッチバックした先にあるかつての石油輸送の専用線があったと思われます(予想)。
それでは、滞在19分ほどで折り返します。乗車車両は往路と同じねこ娘と目玉おやじの2連。
車両機器の確認のため4分遅れでの出発となりました。ICカードは使えないというアナウンスがあったので、その関連の機器故障があったのかもしれません。
