赤羽線 板橋駅 ~中山道の最初の宿場町。そして近藤勇の墓所~
このところ駅巡りブログとしては不本意な?記事が続いていましたが、やっと駅の記事が出せそうです^^;
まだ足の骨折は完治しておらず、長距離を歩くのは厳しいですが、自転車でなら何とかなりそう・・・。ということで、天気もよかったのでリハビリを兼ねて地元の駅巡りサイクリングに出かけてきました。
まずは赤羽線の2つの途中駅を訪問。今回は1つ目の板橋駅です。
板橋駅は東京都北区滝野川にある赤羽線の単独駅。ただこの住所は駅事務所の所在地であって、敷地は西側の板橋区や南側の豊島区にも跨っているそうです。「赤羽線」・・・今となってはほとんど聞かなくなった路線名ですね。現在は赤羽より先の東北本線別線と一体運用しており「埼京線」と呼ばれています。
駅の開業はなんと1885(明治18)年3月。かなり古いです。今の山手線ルートは、品川~池袋(開業時はまだなく、後に信号所として開設)~板橋~赤羽というルートが、日本鉄道品川線として一番最初に開業したそうです。
駅構造は盛土上にある島式ホーム1面2線。駅の南側には東口駅ビルに突き当たる形の留置線もあります。
それではまずその東口から。東口は北区側で「滝野川口」と呼ばれています。
2020(令和2)年7月に開業したばかりの「JR板橋東口ビル」があります。
このビルが建つ前は小ぢんまりした駅舎がありました。(2015年8月撮影)
駅前には小さな広場があり、駅前道路を隔てた先には・・・後ほどご紹介。
東口から駅ビルに入ります。入ると少し低い位置に東西自由通路があり、駅を潜っています。
改札口の様子。2つ上画像↑の駅舎があったころは、東西別々の改札口がありましたが、自由通路が完成して一つに統合されました。みどりの窓口は2016(平成28)年6月に廃止されたそうです。
自由通路を進んで西口へ。西口は板橋区側で「板橋口」と呼ばれています。
板橋口駅前の様子。駅の北西側に広々とした駅前広場があります。奥に見えるビルが東口駅ビル。現在の西口はまだ整備中のようで、右端から長い仮設通路をカクカク進んで駅に入ります。
以前は北向きのこんな駅舎がありました。1953(昭和28)年4月の築だそうです(2015年8月撮影)。
駅には入場しませんでしたが、外からちょっと覗いてみました。
駅の北側には旧中山道が線路を跨いでいます。板橋といえば中山道の一番最初の宿場町ですね。
「赤羽線 仲仙道踏切」・・・漢字が微妙に違う?
その踏切から駅の様子。1面2線で右(西)から1~2番。基本的に渡り線の無い複線の棒線駅ですが、南側には前述した留置線に入るための片渡り線ができたそうです。
池袋方面列車が2番線に到着です。車両はE233系7000番台。
他にりんかい線の車両も走っています。今では相鉄の車両までもが走るようになりましたね(但し、赤羽線内は定期列車はなく、通常は池袋~板橋電留線間の回送列車等)。
最後に東口駅前にある史跡のご紹介。
ここには新選組の近藤勇や土方歳三の墓所があります。
戦いに敗れた新選組組長の近藤勇は新政府軍に捕まり、最後は板橋で処刑されました。1868(慶応4)年4月25日のこと。この場所は板橋刑場の近隣にある寿徳寺というお寺さんの境外墓地で、生き残った長倉新八によって建立されたそうです。
正面に近藤勇のお墓。副長だった土方歳三との連名になっているようです。
その左手には永倉新八のお墓もありました。
右手には近藤勇の像も建っています。
ちなみに近藤勇が捕まったのは流山の地だったそうです。
そちらについてはコチラご参考→→流山の町をお散歩(流鉄流山線流山駅)
行程:(🚲)板橋(🚲)十条
