前回の「紀伊」に続き、今回は寝台特急
「出雲」について。
80年代前半、東京駅10番線の寝台特急「出雲」。
上りの出雲4号が東京に到着したシーンだと思います。牽引機関車はEF65の1102号機。
EF65が切り離された後の顔。24系25形のオハネフ25だと思います。
当時の「出雲」は2往復ありましたが、そのうちの1・4号が24系車両で、京都から山陰本線経由で東京~浜田間を結ぶ寝台特急でした。京都までEF65、京都からはDD51が牽引していたそうです。
編成は電源車を含む12両編成。そのうち電源車と個室A寝台を含めた7両(電+1~6号車)が浜田行き↑。東京方の食堂車を含めた5両(7~11号車)が出雲市止まりでした↓
出雲市駅での増解結は・・・下り1号は分割するだけでOKだと思いますが、上り4号は先頭のDD51を一旦切り離してから電源車のない付属編成を連結する作業が必要そうです。浜田からのものとは別のDD51が推進運動していたのかな~と想像します。
「出雲」のルーツは、1928(昭和3)年12月に大阪~浜田・米子間を福知山線・山陰本線経由で運転していた準急列車が始めだそうです。その後、急行に格上げして大阪~大社間で運転するようになり、戦争激化で一旦廃止。戦後に準急として復活したそうです。
その後については、Wikipediaから「いずも」「出雲」の主な部分を抜粋します。
1951(昭和26)年11月25日:大阪 - 大社間の準急が、運行区間・列車種別を東京 - 大社間の急行に変更される(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結)。
12月2日:東京 - 大社間の急行列車に「いずも」の列車名が付与される。←平仮名「いずも」の誕生。当時は大社に直通する夜行急行だったそうです。伊勢神宮と同様、出雲大社参詣の需要が大きかったんでしょうかね。
1954(昭和31)年10月1日:「いずも」の運行区間が、東京 - 大社・浜田間に延長(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結。出雲今市(現・出雲市) - 浜田間は快速列車。)。
1956(昭和31)年11月19日:列車名が「いずも」から「出雲」に改称。急行「せと」との併結を取りやめ、単独運転になる。←ここで漢字の「出雲」の愛称が誕生!
1961(昭和36)年3月1日:全区間が急行列車になる。
1961(昭和36)年10月1日:サンロクトオのダイヤ改正により、「出雲」の運行区間が東京 - 大社間に変更され、京都 - 福知山間は福知山線経由から山陰本線経由に変更。東海道本線では東京 → 名古屋間で南紀観光団体専用列車を、京都 → 東京間で寝台急行「金星」と併結運転。←従来の京阪神と山陰地方を結ぶ列車の役割を捨て、東京と山陰地方を結ぶ列車としての性格を強めます。
1964(昭和39)年10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、「出雲」は全区間を単独運転にする。
1972(昭和47)年3月15日:山陽新幹線新大阪 - 岡山間の開業によるダイヤ改正により、「出雲」が特急列車になる。車両は20系客車が使用される。←ブルートレイン「出雲」誕生!運転区間は東京~浜田。京都からはDD54が牽引していたそうですが、故障頻発でほどなくDD51に変更・・・。
1975(昭和50)年3月10日:山陽新幹線博多駅延伸に伴うダイヤ改正により、次のように変更。
・「出雲」に24系客車が投入される。
・東京 - 米子間で寝台特急「いなば」が運行開始。急行「銀河」1往復が廃止され、そのダイヤが使用された。
1976(昭和51)年10月1日:ダイヤ改正により「出雲」が24系24形客車から24系25形に置き換え。
1978(昭和53)年10月2日:ダイヤ改正により「いなば」が東京 - 出雲市間に延長され「出雲」2・3号に、「出雲」は1・4号にそれぞれ改称。←24系25形と14系の2往復体制になる。
1980(昭和55)年10月:「出雲」1・4号と「出雲」2・3号の東京 - 京都間の牽引機が、EF65形に置き換えられる。←とありますが、置き換え前はEF58だったのかな?置き換え当時のEF65は500番台か1000番台かもよくわかりません。私が撮影したのは1000番台でした。
機回し中のEF65の1115号機。
上野駅地平ホームとは違って、東京駅では機関車が単独で走る姿をよく見かけました。
1984(昭和59)年2月1日:ダイヤ改正により「紀伊」が廃止され、「出雲」2・3号は単独運転になり、食堂車とB寝台1両が外されて8両編成になる。また時期を並行し、使用する14系B寝台車を2段化改造、約半年後に完了。
※この間・・・1987年の分割民営化後にも細かい変更がありましたが割愛。
1998(平成10)年7月10日:285系電車の投入により、以下のように変更。
「出雲」2・3号は285系電車投入の上で、山陽本線・伯備線経由の「サンライズ出雲」に変更。東京 - 岡山間は「サンライズ瀬戸」と併結。「出雲」1・4号は出雲市 - 浜田間の運行を終了の上で号数表記を廃止。←浜田行きが無くなり、伯備線経由の「サンライズ出雲」と山陰本線経由の従来の「出雲」の2往復体制になる。この2列車が同時に走っていた時期があったのは、実は今回初めて知りました・・・。
2006(平成18)年3月18日:ダイヤ改正により次のように変更。
客車寝台特急「出雲」が廃止。鳥取 - 米子間については「出雲」の時間帯に「スーパーまつかぜ」が1往復増発。←ブルートレイン「出雲」の終焉。最後までEF65が牽引したと聞いています。「サンライズ出雲」は存続。
285系も登場から20数年経っているので、更新が必要になってくると思いますが・・・。「サンライズ出雲」は一度は乗車してみたいですね~。この後も活躍し続けて欲しいです。