80年代 品川客車区の風景
80年代前半の頃・・・いつの日かの品川客車区の様子です。
入替DLのDD13-246が20系客車を牽いています。当時の20系といえば、急行「銀河」か臨時の「あさかぜ」で利用する車両だと思います。奥に見えるのは14系の「出雲」。当時だと出雲市行きの「出雲」2・3号と紀伊勝浦行きの「紀伊」の車両だと思います。
撮影場所は・・・当時の記憶が無くどこから撮ったのかわかりませんでしたが、最近訪問したところだと、手前は東海道本線・上野東京ラインの11番線か7番線のどちらかだと思うのですが・・・違うかな~? (8,9番ホームは後になって11番線に沿うように改造されたらしいので、11番線のほうが可能性が高そうです。)
個人的には横須賀線で新橋駅を出て地上に出てきたところで、右手に留置された多くのブルートレインが間近に見られてワクワクした記憶があります。
品川客車区の歴史についてはWikiから主な部分を以下に抜粋しました。
1942(昭和17)年 - 品川客車区として開設。
東京駅開設時に八重洲寄りに併設の形で東京検車所(東トウ)が設置されていたが、扱い車両の増加に伴い手狭となったため品川操車場を新設した新鶴見操車場に移転し、跡地を客車区に転換した。
1986(昭和61)年11月1日 - 東京機関区と統合し東京運転区に改称。←上の写真はこの数年前のものだと思います。
1987(昭和62)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本が継承、同時に品川運転所に改称。
1994(平成6)年12月3日 - 合理化により車両配置がなくなり、「サロンエクスプレス東京」や「江戸」を含めたすべての車両が尾久客車区(現在の尾久車両センター)に移管。ただし、工臨用のホキ800形貨車のみ配置は残る。
1999(平成11)年3月1日 - 品川運転所閉所。運転士は田町運転区、車両は田町電車区に統合。
他にもいくつか撮ってました。
「あさかぜ」表示のカニ24。車番が確認できませんでしたが、100番台だと思います。
電源車が単独で留置されていました。「あさかぜ」表示のカニ24。
素晴らしい光景でしたね~。
現在はこの奥に高輪ゲートウェイ駅ができていると思います。近いうちに訪問して、現在の様子を確認してみたいと思います。
