583系 特急「みちのく」
今回の"懐かしの上野駅"は特急「みちのく」です。
80年代前半の頃。17番線の「みちのく」。これから出発するところだと思います。
乗務員さんご苦労様です^^;
「みちのく」は上野~青森間を常磐線経由で走った583系の昼行特急でした。1往復しかなかったので、お目にかかる機会もほとんどなかったと記憶しています。
廃止直前の頃の時刻表では・・・
下り11M:上野発14:48、青森着23:50。上り12M:青森発4:50、上野着13:55。
これは夜行連絡船との接続を意識しているように思います。所要時間9時間・・・遥々といった感じですね~。これをあのボックスシートで乗り通すのはちょっときつそうかも?
さて、「みちのく」という愛称がつけられた優等列車は大きく分けると2つの時期があったようです。
以下、Wikipediaから主な「みちのく」部分抜粋です。
1950(昭和25)年10月 日本人用列車で201・202列車が運行再開。
11月には201・202列車が「みちのく」、203・204列車が「北斗」の東北本線・常磐線の日本人用列車では初の列車愛称を命名されるとともに、「みちのく」では1等寝台に限り函館 - 札幌間急行1・2列車からの青函連絡船客車航送連絡を開始。←非常に興味深いです。寝台車をそのまま船に乗せて、札幌行きの急行に増結したということだと思います。「みちのく」の航送は1年半ほどで廃止になったそうですが、1954(昭和29)年の「洞爺丸事故」の影響で、上野~札幌間の客車航送自体も廃止されています。
1968(昭和43)年10月1日 「白紙ダイヤ改正」により以下の変更を実施。
「みちのく」下り2号・上り1号を「十和田(下り・上り)1号」に統合・改称し「十和田」は昼行1往復・夜行4往復の5往復とする。←ここで「みちのく」の愛称が一旦消えます。
1972(昭和47)年3月15日 白紙ダイヤ改正により以下の変更を実施。
昼行「十和田1号」を格上げする形で常磐線経由特急「みちのく」1往復を583系電車で新設。←特急として愛称復活。「十和田」は常磐線経由の急行として残ります。
1978(昭和53)年10月2日 「白紙ダイヤ改正」により以下の変更を実施。
「はつかり」「みちのく」に普通車自由席を設置し、「はつかり」をエル特急に指定。
1982(昭和57)年6月23日 東北新幹線大宮 - 盛岡間が暫定開業。
「みちのく」…廃止。
廃止直前の頃。17番線の「はつかり」と18番線の「みちのく」。
同じ青森行きの並び。この「みちのく」は到着したところだと思います。
特急としての「みちのく」はわずか10年・・・短命の特急でした。
ちなみに、東北新幹線の愛称公募では、「みちのく」が得票数第1位だったそうです。