週末パス20晩秋(16) 魚沼線 西小千谷駅跡 ~「いつの日にか思い出とともに蘇れ」~

きゃみ

来迎寺駅前から越後交通バスに乗車して、魚沼線廃線跡に沿って進みます。
P1210181_越後交通バス_R

魚沼線は来迎寺~西小千谷間の12.6kmの路線でした。廃止は1984(昭和59)年4月のこと。ローカル線がことごとく廃止されていった時期ですね。その中でもかなり地味目な印象の路線でした。

この路線が廃止された要因は素人目から見てもわかりやすいと思います。信濃川対岸にできた上越線の小千谷駅の存在。当時は魚沼線の終点が小千谷駅、後にできた上越線の駅が東小千谷駅といっていたそうですが、優等列車も走る幹線上の駅に人は流れるわけです。しかも今回乗車したバス路線が当時からあったらしいのです。過疎化とはまた違う、取り巻く環境が要因だったということだと思います。

さて、バスは来迎寺の街を抜け、魚沼線廃線跡の西側に沿って南に向かいます。そのまま片貝の街に入りますが、片貝駅跡には寄りませんでした。線路跡は片貝駅を出るとクイッと東に向きを変えて、信濃川に近い高梨のほうに向かい、今度は南西に向いて小粟田に至りますが、バスは真っすぐ小粟田に向かいます。高梨駅跡にも小和田駅跡にも寄りません。駅はみな街の外れにあったようです。

その後は病院に寄ったりしながら小千谷の市街に入り、小千谷市役所前バス停に停車。ここで下車します。
後払い350円也。小千谷駅方面に向かうバスを見送ります。
P1210182_小千谷市役所前_R

バス停の名前の通り、小千谷市役所のすぐ目の前。ビルの前に木造の待合室があるのが面白い光景です。
P1210183_小千谷市役所前_R

目的の西小千谷駅跡は市役所から少し西側にあります。
途中コンビニに寄ったりしながら進むと、真新しい感じの郵便局が見えてきました。この様子は・・・おそらく駅舎があった場所ではないかと思います。
P1210185_西小千谷(城川郵便局)_R

建物の横には「ぽっぽの里公園」という公園の入口がありました。
P1210184_西小千谷(ポッポの里公園)_R

入っていくと、郵便局の裏手に線路跡と思しき遊歩道とホーム跡が見られました。
西小千谷駅跡ですね~。おそらく線路終端側からの様子です。
P1210186_西小千谷_R

ホームに上がってみました。それほど長くないホーム上にはモニュメントがいくつかあります。
P1210187_西小千谷_R

目立っていたのは何かの車輪。「浜松工場 日本国有鉄道 昭和38年」と記されていました。
P1210188_西小千谷_R

立派な駅名標はレプリカだと思いますが、縦看板のほうは当時のものではないでしょうか。
P1210193_西小千谷_R P1210192_西小千谷_R

来迎寺方からのホーム。廃止時の駅構造は単式の1面1線だったそうです。
P1210191_西小千谷_R

奥には線路も残されていました。
P1210194_西小千谷_R

これだけ遺構が残っていると来た甲斐があったと感じられますね~。

最後に「魚沼線史」を覗いてみます。
これを見ると元々の西小千谷駅は信濃川のすぐそばだったことがわかります。戦後、休止されていた路線が復活した際にこの場所に移転されたらしいです。
P1210189_西小千谷_R

最後はこんな文章で締めくくられていました。抜粋です。
「いつの日にか思い出とともに蘇れ」という言葉を乗せて、昭和59年3月31日、魚沼線最後の列車は、早春のプラットホームを後にしました。時の経過は無情にも、大地に残る歴史も思い出も消し去ってしまいます。今この地に立ち、そっとまぶたを閉じたとき、古き良き時代の懐かしさがつい昨日のようにこみ上げてきます。

この感情こそはこのブログを通して私が追い求めている、というか本質そのものなのかもしれません。

なんちゃって(笑) ちなみに魚沼線は初訪問です(微)

西小千谷を後にします。次はバスで小千谷駅に向かう予定~。ですが、バスはしばらく来そうにありません。
待ちきれずに歩いて向かうことにしました。計算では信濃川越えを含めて道のり2.1km、徒歩で27分といったところです。つまりは西小千谷駅と小千谷駅はそれほどに近かったということですね。

行程:来迎寺/来迎寺駅前(越後交通バス[急行]小千谷車庫前行)小千谷市役所前(徒歩)[廃]西小千谷(徒歩)小千谷

鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

Comments 15

There are no comments yet.
 風来梨  
魚沼線が廃止になった理由

こんばんは。

魚沼線がもたなかった理由は、上越線の小千谷駅の存在もそうですが、線路を敷設したのが私鉄の軽便鉄道・魚沼鉄道で、この鉄道は762㎜の弱小鉄道で、信濃川に橋をかけて渡る事ができず、来迎寺を起点にした事ですね。

もし、信濃川を綿って長岡に達していれば、買収国有化の際に上越線の一部として、組み込まれていた事でしょうね。 国有化に際して1067㎜に改軌されているし。

なぜなら、西小千谷は町の中心で、上越線の小千谷は信濃川の対岸の町外れで、魚沼線が長岡に通じていれば今の小千谷駅が破棄されていた事でしょうね。

魚沼線西小千谷駅跡は私も訪れました。 車で・・ですけど。

2021/05/11 (Tue) 19:05 | EDIT | REPLY |   
松理  

 残されていた線路の脇にある片輪が何とも・・・。敢えて残してあるのか,わざわざ置いたのか。

2021/05/11 (Tue) 19:20 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
Re: 魚沼線が廃止になった理由

風来梨さん、こんばんは。
なるほど、来迎寺からなら信濃川を渡らずに済みますね。明治時代の話ですからね・・・。
「もしも」の話は禁物ですが・・・信濃川を渡って小千谷駅につながっていれば、歴史は変わっていたかもしれませんね。

2021/05/11 (Tue) 22:25 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
寂び

松理さん、こんばんは。
私もこれを見て、なんというか・・・"侘び寂び"のようなものを感じました。

2021/05/11 (Tue) 22:29 | EDIT | REPLY |   
こまち6号  
魚沼軽便

こんばんは。
先に上げた頸城(字は厳密にはこっちの頸ですね)鉄道も最初起点を直江津にしようとしますが、関川に橋を架ける費用が多額なことから、起点が黒井(新黒井)からになったんですね。
魚沼軽便線が改軌した際、客車が頸木鉄道に譲渡されてます。この客車は今でも百間町のくびき野レールパークにあります。
しかも、魚沼鉄道は最初、頸城鉄道と同じようなところに路線を引こうしたライバル会社だったのですから因縁は深いです。

一方、駿遠線は大井川に橋を架けざるを得ず、資金難のため、橋桁は鉄のガーダーでしたが、橋脚が木という脆弱なものになってしまい、これが後々ネックになってしまったんですね。

弱小私鉄のウィークポイントは橋ですね。

2021/05/11 (Tue) 23:37 | EDIT | REPLY |   
松理  
To こまち6号さん

こまち6号さん
 はじめまして。「松理」と申します。
 駿遠線の大井川橋梁を列車が走っている様子を一度だけ見たことがありますが,子供心にも「おいおい,大丈夫かよ。」という感じでした。同時に「大水の時も走るのかよ。」「橋が流されやしないか。」と思ったものでした。

 きゃみさん,他人のブログでこんなやりとりをすることをお許しください。

2021/05/12 (Wed) 21:08 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
Re: 魚沼軽便

こまち6号さん、こんばんは。
なるほど、関川ありますね。そういう観点で見ても、昔の路線を紐解くのは面白いです。
最終的には今のほくほく線のように十日町を目指していたのでしょうか?
一方の魚沼鉄道は線路の延長上に十日町がありますね~?
駿遠線の藤枝方はどうしても大井川を渡る必要があったことは地理的によくわかります。当時はあの大河に橋を架けるのは大変だったと想像しますが、木製とは驚きです。

2021/05/12 (Wed) 23:28 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
駿遠線

松理さん、こんばんは。
駿遠線の現役時代を見られてたんですね~。

>他人のブログでこんなやりとりをすることをお許しください。
全然問題なしです。

2021/05/12 (Wed) 23:30 | EDIT | REPLY |   
こまち6号  
大井川橋梁

松里さん、きゃみさん、こんばんは。

大井川橋梁が廃止されたのは1968年のようですね。地元民じゃないので正確なことは分かりませんが、この橋は現在の国道150号線富士見橋付近にあったようですね。いまでもアースで見ると富士見橋の隣の河川敷に橋脚の根本がありますが、コンクリートなので、駿遠線のではないようです。通常でも制限速度15km/h、増水時は5km/hだったそうですから、遅いし、増水時などかえって生きた心地がしなかったのではないでしょうか?区間廃止直後、橋は流れてしまったそうです。駿遠線自体は、鉄道ファンには蒙古の戦車で有名?な自社製作の変な(失礼)な機関車がいっぱいあったので、軽便マニアには頸城(字がとか書いて木と間違ってました>恥)と並んで大人気です。
頸城鉄道と魚沼鉄道はどちらも直江津-浦川原間に鉄道を引こうとしたようで、十日町は目指していなかったようです。そこまで行くと大軽便鉄道ですからね。しかし、駿遠線は総延長64kmもあった、間違いなく日本一の大軽便です。

2021/05/13 (Thu) 00:29 | EDIT | REPLY |   
こまち6号  
すみません

松理さん。申し訳ありません。字を間違ってしまいました。
言い訳すると、8年ほどたったパソコンの具合が悪くて、rのキーが壊れたようで、なかなか入力できないのです。きゃみさん、本当に申し訳ありません。

2021/05/13 (Thu) 00:34 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
長い軽便鉄道

こまち6号さん、こんばんは。
駿遠線は軽便鉄道としては日本最長規模だったそうですね。駅も沢山あったようです。64kmですか・・・サイクリングで完走できないかな?

ちなみに最長規模の軽便鉄道には、岩手軽便線や十勝鉄道というのがあったそうです。岩手軽便線は「銀河鉄道の夜」のモチーフになった路線で以前の記事で取り上げたような気がします。十勝鉄道は初めて知りました。相当昔の話のようですが・・・。

2021/05/13 (Thu) 21:58 | EDIT | REPLY |   
こまち6号  
十勝鉄道

こんばんは。魚沼鉄道がなぜ最初?直江津付近で開業しようとして、頸城との競争に破れて来迎寺付近で開業したのか、その辺の経緯を書籍で読んだこともありませんし、ネットでも見つけられませんでした。唯一、頸城鉄道の現在の姿である、頸城自動車(バス会社)のサイトの鉄道資料の中に書いてあるだけなんです。

実は十勝鉄道から頸城鉄道にDC123というDLが譲渡されてます。ちょっと話の結び付けが強引ですか(笑)

2021/05/14 (Fri) 00:09 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
頸城自動車

こまち6号さん、こんばんは。
頸城自動車のホームページに鉄道資料が確かにありました。以下抜粋。
『明治44年(1911年)の軽便鉄道法及び同補助法の改正に伴い、直江津と浦川原を結ぶ上越軽便鉄道敷設の計画が沿線有志の間で持ち上がったのは同年秋のこと。
・・・
時を同じくして魚沼鉄道(明治44年 来迎寺~小千谷間開業 社長岡田正平)も上越軽便鉄道案にほぼ並行する新線計画をたてたので期せずして両者の競願となった。』
ここまででした。

2021/05/15 (Sat) 00:38 | EDIT | REPLY |   
こまち6号  
分かってみるとがっかり

こんばんは。
コメント欄がどんどん長くなるのは大抵私の責任です。お詫びいたします。
RMライブラリー(ネコパブ)頸城鉄道があったはず、何か書いてないか、と思い探しましたが、どこに埋もれたか発見できませんでした(恥)
で、ネットで見つけました。頸城鉄道発起人にして初代社長の大竹謙治氏について長岡大学の松本和明助教授が書いた論文「大竹謙治の企業者活動」です。ググればすぐ出ます。
まず私が時間軸を勘違いしていました。明治44年、魚沼鉄道はすでに開通しています。そこに上越軽便の話が浮上します。しかし、大竹氏をはじめとして、発起人全てが鉄道の素人であったため、免許がすぐ交付されないと踏んだ魚沼鉄道の社長、岡田正平は、大竹氏らよりも先に免許の申請を行い、魚沼鉄道が既に開業している実績で先に免許を取得し、それを大竹氏らに売却して利益を得ようと画策した、というのが経緯らしいです。
結局、魚沼鉄道側には免許は交付されず、無事、大竹氏側が名前を頸城鉄道と改めて開業したということです。金に絡んだセコい話だったようです。岡田は何の事件か、詐欺で立件されたそうです。がっかりな話です。

2021/05/15 (Sat) 01:28 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
Re: 分かってみるとがっかり

こまち6号さん、こんばんは。
そんなことがあったんですね。岡田氏は新潟県知事にもなったそうですが、鉄道以外にも水力発電にゆかりのある人のようです。
何事もお金は切り離せないですね・・・。

2021/05/15 (Sat) 22:29 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply