東北駅巡り85春 奥羽本線 碇ケ関駅 ~短い命だった特急「むつ」~

きゃみ

白沢駅から奥羽本線下り青森行きの客車列車に乗車しました。
列車は県境を越えて青森県に入って2つ目の駅の碇ケ関駅に到着。ここで下車しました。

碇ケ関駅はこの当時は青森県南津軽郡碇ヶ関村の駅でしたが、現在は合併して平川市となっています。位置的には青森の最南部山間の、国道7号や東北自動車道などの幹線が集まる隘路上にあります。
平川市はかなり歪な形をしています。十和田湖の西側に広がっているのですが、接してはおらず、市役所は弘前のすぐ近くの弘南鉄道弘南線平賀駅のそばにあります。

駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線。互いのホームは弘前方の跨線橋で連絡しており、駅舎は単式1番ホームの東側に面していたと思います。

駅構内で撮影したのはこの1枚だけ↓
3番線を出発する485系の青森行き特急「むつ」 (1985/3/24撮影)
SL015_0007_特急むつ(碇ヶ関)_R

当時の秋田~青森間を走っていた昼行特急は結構あって、大阪から「白鳥」、山形から「つばさ」、新潟から「いなほ」、盛岡から「たざわ」、そして秋田発の「むつ」がいました。

特急「むつ」は元々は仙台~青森を走っていた急行「むつ」がルーツだそうです。急行「むつ」はその後、仙台~青森~秋田というちょっと変わったルートになりますが、青森で運転系統が分断されて秋田~青森となります。ちなみに、片割れの仙台~青森のほうは急行「くりこま」となっています。
特急に格上げされたのは1985年3月のこと。ということは多分3月14日のダイヤ改正時だと思うので、特急になって間もない頃の姿だと思います。
その後は1986年11月まで運転されていたということなので、1年8か月という短命の特急でした。秋田~青森の特急としては1997年3月「かもしか」として復活、2010年12月の東北新幹線新青森延伸開業時には「つがる」となって現在に至ります。

さて、碇ケ関の駅舎
1941(昭和16)年3月築といわれています。現在もこの駅舎は健在とのこと、よかったよかった。
SL015_0006_碇ヶ関_R

現在は簡易委託駅のようです。簡易委託化は1984(昭和59)年4月のことらしいので、この訪問時には既に簡易委託駅だったようです。周遊券に下車印を捺してもらえましたが、「弘前〇碇」という不思議な印だったので管理駅は弘前だったのかもしれません。

この駅では3時間近くの滞在時間があり、駅周辺を散歩していました。現在はすぐ近くに道の駅があるそうですが、当時はもちろんありません。橋で川を渡った時の写真が残されていました。多分平川だと思います。

そこで地元の方に声をかけられました。作業着姿のお兄さん方でした。
その時に撮ったスナップ。津軽開発の方??
SL015_0009_碇ヶ関_R

「よぉ~兄ちゃん、いいカメラもってるね。おれっちらも一枚撮ってよ」とでも言われたのかな。多分、津軽弁で・・・(懐) 当時は親から借りた「Canon EF」というアナログカメラを首からかけてました。

住所を聞いたわけでもないので、写真を送ることはできませんでしたが・・・。もういいお年になっていると思いますが、今もお元気でしょうかねぇ。

行程:白沢(627レ青森行)碇ケ関(632レ秋田行)津軽湯の沢

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Comments 2

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 風来梨  
急行【むつ】

こんばんは。

急行【むつ】は、1983年の10月(ド平日ですが、コメントの骨格上問わないようにしてくださいね)に白糠線の惜別と角館線をめぐった旅の時に、北海道から青函連絡船で戻った青森から秋田まで乗りましたよ。

確か、この急行の停車駅を時刻表で見ると秋田~大館で、土崎・追分・大久保・八郎潟・鹿渡・森岳・東能代・二ツ井・鷹ノ巣・早口・大館と、100kmに渡って概ね1駅飛ばしの連続だったので妙に憶えてました。 大まかに言うと、大舘~碇ヶ関の4駅飛ばし区間を除けば、碇ヶ関から青森の手前の浪岡までも概ね1駅飛ばしでした。

車両は全区間電化にも関わらず、キハ58による気動車運行でしたね。 当時は3往復運行してたようです。 私の乗ったのは、夕方から夜に走る【むつ 6号】だったかと。 これで秋田に出てから大曲まで進み、その日は大曲駅で駅寝して、翌朝の角館線始発に接続する大曲発の始発列車に乗りました。 この列車は3両編成で、最後尾の1両が角館で切り離されて角館線に入る車両運用だったようです。

2020/07/12 (Sun) 20:43 | EDIT | REPLY |   
きゃみ
きゃみ  
Re: 急行【むつ】

風来梨さん、こんばんは。
ということは北海道に向かう途中で「むつ」に乗車したようですね。当時は飛行機という選択肢は頭の片隅にも無かったと思います(微) 東京からでも1日かかって行ってたので、大阪からだと2,3日はかかりそうですね。
当時の地方の急行はちょこちょこと停車していたイメージがあります。ただ、大館~弘前間のようにそもそも普通列車の本数が少ないところでは、特に周遊券で乗車できる急行は重宝しました。その急行がまさか全滅するとは思ってもいませんでした・・・何か寂しいです。

2020/07/12 (Sun) 23:27 | EDIT | REPLY |   

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